今日のちちんぷいぷい

何気なく、毎日放送を見ていると宮崎勤特集で、宮崎事件はいわゆる「オタクの犯罪」だったのか?ということで、最近のオタク事情を解説していた。

ここで言われていたのは、宮崎受刑者は「社会関係をうまく築くことができない、幼女嗜好の趣味を持った人間」であって、当時の報道が(宮崎受刑者の自室のビデオ・雑誌の山は有名)彼をオタクと決めかかって実際の犯行動機にまで深く突っ込んで捜査しなかった。また、裁判でも責任能力の問題が争われただけで「オタク趣味」が犯罪を誘発するのかどうか吟味されなかった。さらにいうと、当時(マスコミにとって)と現在ではオタクの用法が違うことであった。

ここでいう、現在の「オタク」とは簡単に言うと「美少女コンテンツなど虚構に対して性的満足を得、軍事など特定の問題にしか興味を抱かない集団」であり、その幅は「アニメ・コミック・ゲーム・アイドル・自作PCなど」多岐にわたるものである。

 また、ニートという言葉がとり立たされる10年以上前から「社会的ひきこもり」(この本自分も持ってる)の研究をされてきた斉藤環氏によれば、
①「萌え」とは、「虚構のキャラクターに対する性的嗜好にたいして『そんなことを感じる自分が少し恥ずかしいという感情』オタク特有の感情」としている。
②「オタクが現実と虚構の区別ができるのか」については「オタクは、自分に自身がなく自虐的な人が多い。一応常識はある。よって、純粋に犯罪を犯す危険性があるかと問われれば無害とはいえる。」
③「コミケで幼女ポルノが多くあるけど、オタクはロリコンであるのか」については、「オタクの実態を見て嫌悪感を持つ人も多いだろうが、去年、小学生にセクハラした教師のうちロリコンはいたがオタク趣味を持つものはいなかった。よって、ロリコン=オタクとは限らない。」
④「宮崎勤はオタクだったのか」については「特定分野へのこだわりがない点、オタクかどうか微妙。仮に宮崎受刑者の時代に現在のように美少女コンテンツがあったら犯行に及ばなかったかもしれない。」


ということである。ここまでオタクがバッシングされるようになったのは、オタクの行動がそもそも嫌悪感を抱くものであることが大きな理由であると思われる。
それに加え、この事件で宮崎受刑者の自室に積まれたビデオや雑誌の山(種類に関して言えば、多種多様なジャンルのものがそこにはあったのだが、当時はアニメ・漫画が特異なものとして報道されていたようだ)が「オタク的なもの」として捉えられ報道されたことに加え、その頃のコミケにおいて、あるニュース番組で女子アナが「ここに○○万人の宮崎勤がいます!!」などと中継したことが、世間の特に30〜40代以上に、「オタク=犯罪予備軍」に近い嫌悪感を与えることになった。

 宮崎事件当初、私は物心などまだついていなかったので、当時のマスコミの報道が実際にどのようだったかは、わからず、後になって書籍など間接情報でしか得ていない。
それでも、親に対して当時の事を聞くと良い顔はしないし、「世間では彼のことをオタクといって、自分の趣味も世間ではオタクといわれるんだ」というと、勘弁してくれという。
それだけ、この事件が世間に与えた影響は大きいということだ。

 ここで、斉藤環氏やぷいぷいで取り上げられたことについて私見を述べると、宮崎事件当時マスコミが使っていた「オタク」と今現在の「オタク」とはイコールではないということには同意見だが、宮崎氏の精神構造とオタクの精神構造がまったく違うのかというと疑問である。共通項がないわけではないだろう。ただし、当時マスコミが行き過ぎた報道をしたのは事実であって、この事件が与えた影響からして、それを見過ごすことはできない。
 また、オタクの多くは現実と虚構の区別はある程度できているとしても、それを理由に今現在の美少女コンテンツ、特にあからさまに性的対象として扱っているものが存在していい理由がない。いくら、犯罪に直接結びつくわけでないとしても公序良俗というものがある。
ここら辺は、表現の自由との兼ね合いもあるが、よりいっそうの自主規制は必要ではないのか?二次だから何やってもいいというのは節操がないと感じる。
 ようは三次だろうが二次だろうが幼児ポルノは規制するべきだし、18歳未満が「わいせつな」コンテンツに触れる事が容易な今の環境はどうにかせねばならんということだ。
 そういう意味では、美少女コンテンツといわれるものは「わいせつ」といえるギリギリのところで商売してるような気がするんだな。

 あと関連して言えば、私がお世話になっている臨床心理士の先生や、精神科の先生によれば「社会的引きこもり」と呼ばれる若者はすべてではないがオタク率が高いそうだ。また、自分に自信が持てない人が多いらしい。
オタクだから、社会的引きこもりになるわけではないだろうが、ここへんの事情から斎藤環先生が呼ばれたのだろう。それにしても、斎藤氏の発言は一部首をかしげるとこもあったが、オタクというものをだいたい理解しているのではないかと思った。別にオタク自体肯定してるわけではないだろうけど、先生の場合。
先生の著作を読む限り、周囲にとっては異質でも、社会に出て他人と交流できるだけオタクは、まだまともなほうなのでしょう。先生の場合、ネットを通じた人と人との交流をひきこもりを解決する方策のひとつとしているくらいだし。まあほんとうのところそれをきっかけとして多種多様な生身の人間との交流ができれば理想だといいたいのであろうけど。実際、著作を読むに、生身の人間だけではなくて、ネットを通じた交流すら拒絶して自分の世界に閉じこもって引きこもる若者がいるから、先生はそれを問題としているのでしょう。

 ともかく最近の犯罪は今までの犯罪心理学では説明できない事件が多い。宮崎事件はもっと精神病理に基づき審理れるべきであった。それがされなかったのは、今後の刑事政策上大きな損失といえるのではないだろうか。

まあ、あくまでも私見であってそんな深く考察したわけではないのでごめんなさい。