己は何を望むのか・・・。

ARIAに限らず天野先生の作品を読むと、その後は必ずしばらくは、空を見上げたり、公園をうろついて、思索に耽ることが多い。

自分は、この世界のことをどう思ってるのか、今生きていて楽しいのか、今居る世界を今時分に自分は満足しているのかと・・・。

今回も、いつものように図書館の一室の中で、一人窓から見える木々をぼんやり眺めながら思う。自分は、何をしているんだろうか、何がしたいのだろうか、現状の自分に何を望む・・・?

最近は、刹那的に衝動買い、そうでなければ図書館でぼーとするかのどちらか。そうでなければ、人の相談ごとにはよく応じるのに、自分のためには何も行動してない。

しなければならないことは、今たくさんある。図書館で勉強してる人たちを見れば嫌でも思い知らされる。しかし、それさえ無視して、時間を無為に過ごしてもう戻れないところまできてしまったように思える。

ただ望むだけでは、結果は出ない。結果は努力して初めて出てくるものだ。努力を怠るものに、望む結果などは決して訪れない。それは分かる。分かるのに、何もしない自分に腹立たしさを感じる。

人生の先輩たちは、皆それは誰しも経験する壁だという。今の時期悩みもしないのは逆におかしいと・・・。確かにそうなのだろう。でも、自分が心に持つわだかまりは何かが違う。悩みは人それぞれだというけど、それとも違う。

「自分は、何をしてきたのだろう?」

日本経済の基準からすれば、中の下ぐらいの経済環境に居る自分。考えてみれば、世界的に見れば、その日生きていくだけがやっとの人たちが大勢居る中、自分の悩みは、贅沢だと思う。

だから、こんな自分は消えてしまえばいいと思う。でも、それはできない。今はもう居ない人との約束みたいなものだから。死んだ人間の意思なんて遺された者には分からない。それなのに、今はもう居ない人間に未だに縛られてる自分はほんとに情けない

いっそ、宗教に頼りたい時期もあった。でも、できなかった。自分に都合のよい神様なんて居ないから。不純な動機で回教するようでは失礼だから。

ホント、自分はどこへ向かおうとしているのだろうか・・・。