生で、人と会話するのはやはりよいものだ。

 久しぶりの学校。今日は、刑法ゼミに所属している友人と、学食で飯を食いながら、奈良の幼女殺害事件について語った。
 彼は、自分よりハイスペック名パソコンを所持しているくせにネットに接続していないうらやましい人物なのだが、それは置いといて。
 こういった話題は、メールや電話でするようなものでないので、結構話し込んだ。

結果、自分が結果無価値論と、行為無価値論の関係についての理解の足りなさをさらしてしまい、なんとも恥ずかしい思いをした。ブログにあんな適当な(大きく違ってはないけど)書いた自分が恥ずかしい。
どうも最近、感情に任せて行動しすぎだ。日記に書くことも、法解釈とか持ってきてるけど、論理的に組み立てられてない。学生の書く、文章としてはあまりに幼稚だな。自分。

だって、あの授業で、まともに刑法総論を理解しろと問うのがおかしい。でも自分のほうが稚拙であったのは確かなので、そこは仕方がない。
その後は、ネットのことに疎い彼に、大谷氏の一件を話したり、メーガン法の是非について、話し合うなどなかなか充実した時間をすごせた。

やはり、人と話すのは疲れるけど、人と話してるときは楽しいものだな。矛盾したこと言ってるけど。



今後は、もっと慎みをもって書いていかねば。ネット(ブログ)も、テレビと同じで、自分の発したものが、何時、誰にどのように作用してるのかわからないのだから。特にネットは匿名性が高いのだから、情報を発信するほうも、受けとるほうも、注意しなくてはならんな。