マグダラのマリアについて。

実際これ書いてるのは、30日ですが、時間があるのでこれまた引用。

なんか、番組のうろ覚えだけど彼女は、一説にはキリストの妻であったとかそうでないとか。それで、キリストを神格化したい協会側がそれをもみ消そうとしてただっけか?

テレビを付けながら、勉強をしてたときに獲た記憶なのでものすごく曖昧。自信がない。
ダ・ヴィンチ・コード買いたいけど、こういったモノは、読むのに時間がかかる上(実在の物とリンクしてる)に値段が高い。古本屋で見つけたらキープするけど。
別に、マグダラのマリアに関しては、クロノ関連だから・宗教物だからと言う理由でなく、普通に知的好奇心をそそられるものだから、いつか本を買って読みたいものである。
キリスト教を本気で信仰してる人にとって、ダ・ヴィンチ・コードってどうなんだろうな?特にカトリックの人たちは。

自分は、超常現象や神様を否定する人間ではない。ただ、信仰ってその人個人が内心に確固として抱くものであり、決して他人に押し付けられるものじゃないと思うんだよな。だから、宗教勧誘は、押し付けがましくて嫌い。このような考えに至ったのも、2年前にいくら神様に祈りをささげても、それがタダの自己満足でしかないと思い知らされてからだな・・・。
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

マグダラのマリアは、新約聖書に登場するイエスに従った女性。マグダラという地方で商売をしていた娼婦だという説もある。カトリック教会、東方教会などではいずれも聖人であり、その記念日は7月22日。

マグダラのマリアは古来西方教会で非常に崇拝され、多くの伝説にいろどられている。聖書の中にはマグダラのマリアと特定されていない女性が何人が登場する。マグダラのマリアについて聖書がはっきりと語っていることは、悪霊に憑かれた病をイエスによって癒され、磔にされたイエスを遠くから見守り、その埋葬を見届けた。そして、復活したイエスに最初に立ち会った者の一人だということだ。


マグダラのマリア (19世紀)
マグダラのマリアと他のイエスの弟子は、安息日が終わって、週の初めの日の明け方にイエス・キリストの納められている墓に向かった。その時、大きな地震が起こり、墓の入り口を塞いでいた大きな石が転がり、墓の入り口が開いた。マタイによる福音書によると、それは天使の仕業であり、

『その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった』(マタイによる福音書28章3節 新共同訳による)

墓の中にはイエスの遺体はなく、天使の口からイエスの復活を告げ知らされた彼女たちは

『恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。』(マタイによる福音書28章8節 新共同訳による)

すると、彼女たちのそばに復活したイエスその人が立っていたが、最初、彼女たちはそれがイエスその人だとは気づかなかった。イエスが彼女たちに声をかけると、彼女たちはそれがイエスその人だと気づいた。

『彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。』(ヨハネによる福音書20章16節 新共同訳による)

そこで、イエスに触れようとするマグダラのマリアにイエスは、父である神のもとへ上る前であるため、触れないようにと言われた。(ヨハネによる福音書20章17節 新共同訳による)

また、他の弟子たちにイエスの復活を告げ知らせるようにと言われたのである。

いま、こんな感じで(どんな感じだYO!)マグダラのマリアにちょっと注目が集まってますが、原作・アニメ共々制作当時はここまで考えてなかっただろうな。へんな因果を感じる三月末の午後であった。